一条政親(六代)

■ 一条政親

 父内政と引き離され、外祖父元親の臣久礼田道祐に育てられた幼児は、成長して政親と名乗り、土佐一条氏の命脈を保ったものの、もはや元親の思いのままに扱われる悲しい運命の人に過ぎなかった。
 慶長4年(1599)元親が死に、翌5年の関が原の合戦で盛親が敗れて、長宗我部が没落したことで政親は暫く自由の身となり、土佐を去って京に上ったと伝えられるが確かなことは判らない。ともかく、政親の退国で房家以来、六代百余年で土佐一条氏は終わったのである

 (中村市史より引用)