咲かずの藤

■ 咲かずの藤

 土佐一条氏第4代当主一条兼定が、長宗我部氏に追われたおり、「植え置きし 庭の藤が枝心あらば 来ん春ばかり 咲くな匂うな」 という歌を詠み邸内を去った。藤はその後約三百年間花をつけませんでした。(現在は咲いています) 藤を愛した土佐一条氏は、藤を家紋にもし、邸内に藤見の館「藤遊亭」も建てもいます。一条神社の参道奥の階段を上って、一条神社境内になりますがその階段の下の左側に咲かずの藤はあります。

石碑に書かれていること
土佐一条氏は邸内に藤見の館「藤遊亭」を建て、家紋でもある藤をこよなく愛したと伝えられています。土佐一条氏第4代当主一条兼定は、長宗我部氏に追われ、館を離れるにあたり 植え置きし 庭の藤が枝 心あらば 来ん春ばかり 咲くな匂うな と残して去り、この藤はその後三百年間花をつけませんでした。しかし、文久元(1867)年、この藤が見事に咲きほころび、このことが翌年の一条神社建立の発端となりました。