大文字山の送り火

■ 大文字山の送り火

四万十川河口近くの間崎部落の盆行事で、旧暦7月16日に山の神をまつる十代地山(地元では「大の字山」」と呼んでいる。)の中腹の草木を大の字形に刈り取り、そこに部落各戸から集めた松明を配して送り火を行う。晩夏の夜空に浮かび上がる土佐大文字は美しく,ひとしお趣がある。行事の運営は、間崎部落を7組に分け、各組が1年交代で当番に当っている。起源については、一條教房(房家とも云われている)が故郷京都の大文字焼きを偲んではじめたと言われているが、江戸時代の文化年間に始められたという文献もあり、確定されていない。
 (土佐の「小京都」中村より引用)

写真に書かれてること
 今から五百有余年前、前関白一条教房公は京都の戦乱を避けて家領の中村に下向され京に模した町づくりを行った。東山・鴨川・祇園など京都に因んだ地名をはじめ町並みも中村御所 現在は一条神社を中心に碁盤状に整然と整備し当時の中村は土佐の国府として栄えた。この大文字山の送り火も土佐一条家二代目房家が祖父兼良、父教房の精霊を送るとともに、みやびやかな京都に対する思墓の念から始めたとこの間崎地区ではいい伝えられている。現在も旧盆の16日には間崎地区の人の手によって五百年の伝統は受け継がれている。