紺屋町跡
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■ 紺屋町跡
山内三万石時代には、四万十市の京町4から5丁目にかけて紺屋業が多くあったところです。「紺屋」とは元々藍染め屋さんのことですが、江戸時代になると染物業の総称になりました。
藍瓶 むかし、当市「紺屋町」の染物屋で藍(あい)を貯めたもの。布地をこの中に浸し、職人が瓶のふちに立って作業した。