小姓町跡

■ 小姓町跡

 為松山の山裾に広がる町名で桜町に隣接しています。山内3万石時代に、主君の側近く仕えて雑用などつかさどる小姓たちの屋敷があったところ。幕末から明治にかけて学校・郡役所・公会堂などが建てられ街の文教街として発展する。

 石碑に書かれていること
小姓町は、桜町に隣接する為松山の山裾に広がる町名で山裾に広がる町名で、その由来は山内3万石時代に、君主の護衛を任務とする小姓組みの屋敷が配置されたことによります。当時は、この町の南角に「町会所」が置かれ、東方に広がっていた町人街の支配の要であったと考えられています。その後、万治、寛文の大洪水や自然災害で荒廃した事もありますが幕末から明治にかけて、学校や郡役所、公会堂などが次々と建てまれ官公庁や学校が並ぶ文教街として発展してきました。