小京都中村 関連年表

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年 代時 代事 項関 連
~紀元前1万年前旧石器(先土器)双海、初崎遺跡など宿毛須々木、池上など
~同4千年前縄文草創、早期国見、大用、双海など 
~同2千年前縄文前・中期非常に少ない、国見宿毛貝塚、清水唐人駄馬
~同3百年前縄文後・晩期中村貝塚、入田、有岡など同上
~紀元後3百年弥生時代入田、石丸(具同)、有岡、佐岡など 
~同6百年前古墳時代具同中山、古津賀、竹島古墳など平田曽我山古墳
西暦時代和 暦事 項関 連
  崇神朝天韓襲命(あまのからそのみこと) 
   波多国造となると伝える 
645


大化1 大化の改新始まる
672白鳳1 壬申の乱
701大宝1国、郡、里制により土佐国、幡多郡となる大宝律令制定
718養老2土佐への官道に従来の伊予経由に、阿波経由が加わる平城京710年
724神亀1配流の制。土佐は遠流6ヶ国の一つ 
794


延暦13 平安京遷都
823弘仁14空海、足摺山金剛福寺を創建 
923延長1幡多郡に五郷 [大方、鯨野(いさの)、山田、枚田(ひらた)、宇和]紀貫之、大津を発つ(939)
940天慶3藤原純友、幡多を荒らすこの頃、将平・天慶の乱
1143康治2藤原忠通「土佐国の成敗を司る」。知行国的支配か保元の乱、続いて平治の乱
1156保元1藤原師長(忠通の弟頼長の子)、”畑”へ配流鎌倉幕府開く
1192


建久3  
1206元久3九条家(兼定)、土佐を知行国とする 
1207承元1法然、幡多に流罪決定するも讃岐へ。その弟子成阿坊を中村に迎えて正福寺開く 
1221承久3土御門上皇、土佐へ配流 この頃には九条家所領「幡多庄」立荘か承久の乱
1250建長2幡多庄、九条家から一条家へ一条家創設
1256康元1金剛福寺焼失、一条家造営料を出す。以降同寺は1289年、1310年等に焼失、一条家はその都度70~100石を奉加・・・五摂家、この頃揃う
1275文永12慶心(金剛福寺の僧侶か)を幡多本郷の船所職(ふなどころしき)に 
1331元弘1尊良親王、大方へ配流 
1338


 暦応1鎌倉幕府の滅亡(1333)後、建武の中興を経て、南北朝の内乱は1392年の合一まで続く室町幕府をひらく」室町幕府下、土佐の守護は官領家細川氏。その一族家臣が守護代となり、田村館に守護代所が置かれる。幡多にはその支配は及ばず。
1345興国6流刑行程の定めにより、土佐は遠1220里
1350文和年間太平寺開山
1458長禄1一条教房関白となる(1463年まで)
1467


応仁1教房、奈良大乗院へ。9月、京一条邸焼失応仁・文明の乱始まる
1468応仁29月教房、幡多本庄へ向かう 
1469文明1下山(西土佐)回復。唐船土佐へ帰朝政房、兵庫で死去
1477文明9房家(土佐一条初代)生まれる。母は加久見の出応仁・文明の乱終わる
1479文明11京一条邸造営のため材木・板など贈る 
1480文明12教房、中村で死去(58歳) 
1483文明15一条家臣内紛、房家足摺へ。その後南村(土佐清水)へ 唐船3隻、幡多で越年する 
1494明応3房家、元服 
1498明応7房家、後妻を大内氏より迎える。6男晴持を大内家へ 庸氏に養子 
1516永正13房家、次男房通を伴い上洛。房通、京一条家の養嗣子に10ヶ月滞在する 
1517永正14高岡郡へ出兵、一条領とする 
1521大永1伏見宮邦親王女(玉姫)、房冬の嫁にする 
1539天文8房家死去(63歳) 
1541天文10房冬死去(44歳) 
1549天文18房冬死去(28歳)、兼定当主となる(7歳) 
1566永禄9兼定、伊予を侵攻(永禄11年まで) 
1574


天正2兼定、豊後大友氏に落去。吉良親貞、中村城監に 
1575天正3渡川合戦、土佐一条氏滅長宗我部元親、土佐統一
1585天正13 元親四国統一後秀吉に降る
1589天正17中村郷検地(土佐の検地は1587年より) 
1600慶長5山内政豊(一豊弟)、中村に入国。翌年2万石を給される関が原の戦い。長宗我部氏
1601慶長6山内一豊、土佐に入国除封
1603慶長8 江戸幕府開く
1613慶長18山内政豊(二代藩主忠義弟)中村城を普請 
1615元和1一国一城令により中村城こわす大阪夏の陣、豊臣氏滅亡
1656明暦2山内忠直(忠義次子)中村3万石を分領 
1663寛文3この頃迄にカイロク溝・四ッ村溝などの工事行われたが岩崎堤防が切れ大洪水。この後も大水害記録多数あり野中兼山、失脚
1666寛文6 
1689元禄2中村3万石、没収される 
1696元禄9中村3万石領、本藩に還付され、幡多郡奉行支配の時代となる 
1825文政8中村に義倉設置 
1845安政1安政の大地震、被害甚大 樋口真吉、幡多海岸に砲台を構築米地との和親条約
中浜万次郎、帰国(1852年)
1862文久2一条神社建立土佐勤皇党結成(1861年)
1868



慶応4堺事件の切腹残余9名、入田に流謫明治維新、戊辰戦争
1870明治3大用寺一揆 
1871明治4県下を230区にわけ戸長など置く。中村は第12区。廃仏毀釈により多くが廃寺になる廃藩置県
1874明治7江藤新平、逃れてくる佐賀の乱、立志社創立
1876明治9熊本県令安岡良亮、暗殺される神風連
1879明治12幡多郡役所中村に置かれる 
1881明治14 自由党結成
1889明治22中村、中村町、不破、右山、角崎各村が合併、「中村」となる前年、市制町村制公布
大日本帝国憲法
1890明治23自由党・国民党間の対立/右山事件、下田事件(1893)第1回帝国会議
1894明治27 日清戦争
1896明治29逢坂トンネル開通 
1898明治31中村町となる 
1910明治43大逆事件、幸徳秋水刑死(翌1月) 
1914大正3 第一次世界大戦始まる
1915大正4中村実業女学校生ら、四万十川渡船水難事故 
1926大正15(昭和)四万十川鉄橋竣工 
1929昭和4四万十川、後川、中筋川の改修工事始まる 
1931昭和6 満州事変
1935昭和10大洪水。中村町水没、被害甚大 
1937昭和12 日中戦争始まる
1941昭和16 太平洋戦争開戦
1945昭和20B29、中村に爆弾投下、疎開行われる高知大空襲。広島・長崎に原爆投下される。終戦
1946昭和21南海大地震、中村の被害甚大 
1947昭和22第一次都市計画事業はじまる 
1951昭和26 対日平和条約調印
1954昭和29中村町はじめ11ヶ町村合併、中村市発足発効、日本独立
1955昭和30第二次都市計画事業はじまる 
1960昭和35市街地の町(字)名、区域変更 
1963昭和38大洪水、被害甚大 
1967昭和42第三次都市計画事業はじまる 
1970昭和45国鉄中村線開通 
1971昭和46四万十川左岸、百笑、岩崎堤防竣工 
1975昭和50国道56号バイパス開通 
2005平成17中村市、西土佐村の合併により四万十市発足