一条房冬(二代)

■ 一条房冬(1487-1541)

 房冬は房家の長男で永正7年(1510)13歳で元服し、従五位上、侍従。左近衛少将。同10年正五位下。同14年従四以下。同17年従四位上、左近衛中将。同18年従三位、非参議、兼左近衛中将。この年24歳で伏見宮邦高親王の王女玉姫を夫人に迎えた。大永3年(1523)権中納言。享禄3年(1530)正三位。同5年従二位に進み、天文4年(1535)38歳には左近衛大将に任じられている。大将は従三位相当の官ではるが、大納言または大臣が兼任することが多かったので、房冬の久しい望みであっても、その実現は容易な事ではなかった。それだけにこの任官の喜びは大きかったにちがいない。その大将も2年後に辞任している。それが任官の時の条件であったかもしれない。そうであっても前大将の肩書きは一生消えることはないので満足であったろう。大将辞退2年後の天文8年(1539)8月には正二位に進んだ。この年11月父房家が死去し、いよいよ自分の力を発揮できるようになったのに、2年後の天文10年(1541)11月6日、44歳の生涯を閉じている。したがって父房家死後の2年間だけが房冬の時代ということになる。土佐一条氏の全盛時代は年令的には房冬の時代であるが、父房家はなお健在であったから、房冬の存在は父房家の威勢の影に隠れて。余り光らなかった感じである。
 房冬の追号は、円明院殿二品幕下明叟宗賢、中村円明院に葬る。夫人玉姫(真照院殿寿獄宗仙)の墓は中村市新町3丁目の旧常照寺跡にある。(追号は夫妻とも金剛福寺位牌に拠る。)
 (中村市史より引用)