一条内政(五代)
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■ 一条内政
父兼定の隠居によって、土佐一条氏五代を継いだ少年内政は、もはやロボットに過ぎなかった。長宗我部元親が保護するという名目で、中村御所から長岡郡大津城に移され、大津御所と崇められたとはいえ、実は態のよい監禁であった。そのうえ娘を夫人に押し付けられ、元親を舅と呼ばねばならなくなったのであるから全く気の毒である。
それでも、従四位下右近衛中将の官位を持つ内政であってみれば、屈辱の生活は、とても堪えられるものではなく、長ずるにしたがい元親への反抗心が燃えあがるのは、無理からぬことであったろう。折も折、高岡郡波川の城主波川玄蓄の謀反露見という事件が起こった。玄蓄は元親の妹婿で、兼定退国後は中村とは四万十川を隔てた山路城を預かっていたが、元親の意を損することがあったとかで、本領の波川へ返されていた。その義兄への憤懣が一矢を報いる決意となって、同志を募っているうちに陰謀が露見し、玄蓄は阿波へ逃げ海部城主香宗我部親泰(元親の弟、玄蓄の義兄)を通じて除名を乞うたが許されず、ついに切腹させれた。天正8年(1580)のことである。
その翌年、内政もこの事件に関係があったということで伊予に追放され、程なく病死したと伝えられているが、毒殺説もある。
(中村市史より引用)
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