一条神社

■ 一条神社

 一条教房は幡多庄に下向したのち、中村御所内の小森山にその先祖の廟をまつった。
四代兼定が長宗我部氏の圧力を受けて中村御所を去るときに「植えおきし庭の藤が枝心あれば来む春ばかり咲くな匂うな」と詠んだ”咲かずの藤”が文久元年(1861)美しく花を咲かせるという珍事が起こり、時の幡多郡奉行・中村目代・大庄屋などが一体となり、一条家の遺徳を顕彰し幡多郡民の総鎮守としてあがめるため翌年、一条神社が創建された。秋の一条大祭は土佐の三大祭に数えられ、当日は大勢の人で賑わう。現在の社殿は昭和19年(1944)、戦時下であったが幾多の困難を克服して完成したものである
 (土佐の「小京都}中村より引用)

■ 中村御所館跡

 天承17年(1589)の『地検帳』によるとこの丘陵が森山で維摩堂床がある。小山の東側に、お堀・北堀・寺院跡や小田つきの広い土地に建物がある。西側には、御土居が散田と登録され「居」の記載で家屋のあったことが知れる。御土居・御堀の敬称は長宗我部元親につけたものではあるが、東・西同じ地割の絵図範囲が土佐一条氏の『中村御所』跡と推定できる。
慶応2年(1468)前の関白従一位一条教房が幡多庄に下向から1世紀―。往時の華やかな公家文化と壮大な権勢が偲ばれる。昭和63年(1988)

■ 中村御所館跡

御祭神 若藤男命 若藤女命
    一条教房長子孫房家、房冬、房基、兼定、内政及び連枝の霊
旧社格 県社
創立年 文久2年(1862)
祭 日 11月23日より3日間

 当神社は文明12年(1480)一条家の御廟所として先祖をお祀りしていたことに始まり慶長12年一条家遺等土地床屋と相企り一条家の徳を仰ぎ祠を霊をお祀り申していたのを文久2年(1862年)にいたり時の幡多郡奉行、中村目代、大庄屋が一体となって一条家の遺徳を顕彰し幡多郡民の総鎮守の神として崇め奉るため社殿の造営一大祭典の執行を幡多郡民に命じた。例大祭に高知県下三大祭の一つとして数えられ当日は十数万人の参詣人で賑わう

■ 天神社

旧社格 村社
御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 菅原道真公
例 祭 5月5日 菅公祭 7月24・25日 夏祭 旧9月25日 秋祭
由 緒
 土佐一条氏が京都五條天神を天神山(現市役所)に勧請したものと伝えられ、後に藩政時代山内氏の崇敬厚く菅原道真公合祭、昭和28年天神山より現在地へ移転、昭和48年社殿全面改装御祭神少彦名命は国造り、病気平癒の神様として、菅原公は、学問の神様として広く市民の崇敬を集めている。尚管公祭には子供みこし、夏祭りは子供相撲、手踊り秋祭りには大人みこしの御神幸で大いににぎわう。
氏子区域
 上小姓町・小姓町・愛宕町・本町1・2丁目・天神橋・栄町・一条通・京町中・下区・新町・大橋通4~7丁目。

この神社は文久2(1868)年、中村御所跡の小森山山頂にあった一条家御廊所跡に、土佐一条氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。土佐一条氏は応仁の乱を避け荘園の復興を目指して下向した関白一条教房に始まり、その子房家以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一条歴代の霊を祀っています。毎年11月に行われる大祭は、土佐の三大祭の一つに数えられています。現在の社殿は昭和19年(1944)の建立です。

■ 御化粧の井戸

一条家が使ったと伝えられる7つの井戸の内、現存する唯一の井戸で、この奥にあります。女官・侍従たちが御化粧のために使用したのでこう呼ばれるようになったと伝えられています。

 井戸の枠は一枚岩をくりぬいたもので当時の一条家の権勢を物語っています。 尚、深さは約5m、現在の井戸枠は境内拡張の際築き上げられていて、昔より高くなっています。井戸水は今日まで枯れたことがありません。

■ 中村御所跡(一条神社)市指定文化財

市街地の中央に盛り上がった小森山にあり、この丘には愛宕神社があったが、一条教房が中村下向の時他へ移し御所を構えました。天正年間に一条氏は中村を追われたが、慶長12(1607)年、?臣により祠が建てられました。この神社には教房の父、兼良をはじめ、土佐一条氏歴代の霊を祀っています。境内には藤見の御殿跡や化粧の井戸など一条氏ゆかりの旧跡が残っており、毎年11月23日~25日には一条氏の徳をしのび、全市をあげて盛大な一条大祭が行われています。現在の社殿は、昭和19年(1944)の建立です。所在地 四万十市中村本町一丁目(左写真に書かれていること)