一条神社

■ 一条神社

 玉姫は土佐一条家二代房冬の夫人で、伏見宮邦高親王の王女である。房冬に嫁して嗣子房基を産んだ。天文16年(1547)病死し、後の常照寺に葬られた。常照寺は明治初年の廃仏毀釈で廃寺となり、現在は寺跡に玉姫の五輪塔のみが一条時代を偲ぶよすがの一つとして残されている。四万十市中村新町3丁目がその所在地である。
 (土佐の「小京都」中村より引用)
 玉姫は皇室の出。このことからも一条家は皇室との近い関係をあらわしています。

■ 玉姫の墓 市指定文化財

 玉姫は伏見宮邦高親王王女で、土佐一条家第二房冬の夫人です。大永元年(1521)降嫁のため土佐に下向しました。夫房冬は大永4年(1524)より上洛し、公卿として京都にとどまり、天文6年(1537)帰国しているので、玉姫も同行したことと推測されます。天文10年房冬が没した後、同16年8月22日中村に没したと伝えられています。玉姫の墓所は江戸時代に建立された常照寺跡といわれています。所在地 四万十市中村新町3丁目