京 町

■ 京 町

 今はその場所に四万十市立文化センターが建っていて昔の面影は無くなっていますが、一条時代には城下の正面街として栄え、重臣たちの邸宅のあったところといわれてる。山内三万石時代には家老たちの屋敷街で、堀側に桜が植えられたことから、南桜町・北桜町とつけられた。その後、様々な変遷をたどり、桜という名前だけが残った。

石碑に書かれていること
桜町は古城山のふもとの塀に沿って北へ薬300m、江戸時代を通じてこの町名が使われています。
山内3万石時代以降には南桜町、北桜町と称しました。ここには家老 祖父江長左ヱ門はじめ重臣の屋敷が並んでいました。元禄2(1689)年3万石?廃絶と共にこれらの武家屋敷は一斉に姿を消し、幕末に至るまで?野となっていましたが、明治以降は発展し、今日の姿を見るに至りました。